こんにちは!
パニーニです!
僕は、関西にある大学を卒業した後、地元四国に戻り高校の先生になりました。
まさか自分が学校の先生になるなんて夢にも思っていませんでした。
自分が高校生の時、なれるなれないは別として
”なりたくない職業ランキング”
政治家に次いで、第2位だった学校の先生に…。
大学4年間で、様々な経験を経たことにより考え方が大きく変ったと実感しております。
慣れない土地での初めての一人暮らし、大学生活、アルバイト、ボランティア、ただの日常…etc
日々の生活が僕の考え方を変化させ、構築していったことに間違いはありません。
そんな中で特に、学校の先生になろうという考えになった”きっかけ”をご紹介したいと思います。
大学専攻分野
小学生の頃からずっとスポーツをしており、よく怪我をして整形外科や接骨院の先生にお世話になっていました。
先生方に診ていただくと、すぐ原因を見つけ出し、処置をして回復、予防策を提案してくださるなど、”すごいなぁ”といつも思っていました。
そのようなこともあり僕は、”スポーツトレーナー”になりたいと考え、大学に入学しました。
もともと勉強嫌いでしたが、僕にとってその専攻分野はものすごく面白く、知れば知るほど”もっと詳しく知りたい”と熱心に勉強するようになりました。
勉強を続けていると、よく思いました。
”この知識が高校生の時にあったらもっと部活が楽しかったし、もっと強くなれただろうなぁ”
高校課程で学ぶ教科・科目は、正直その後生きていくうえであまり実践で使う、役に立つ知識ではありません。
そのため、僕も勉強が嫌いでした。
”この勉強はする意味あるの?”
日々感じていました。
ですが、大学に入学してから
”これは面白い!”
と思える学問と出会うことができたのです。
そして知ることができました。
興味のある分野、実践で使える知識、それらを習得するための勉強は”楽しく意味のあるもの”だと。
このことを、高校生のうちに気付いてほしい。
身近な学校の先生で、”スポーツ外傷・障害”や”フィジカルトレーニング”を専攻にされている先生がいらっしゃらなかったので、僕がなって生徒たちに伝えようと決めました。
僕の専攻分野に関わらず、高校課程では学べない様々な分野・知識・情報は大いにあります。
僕は大学4年間を経て、多感な高校生は、もっと本人たちの興味・関心に従って勉強に取り組んでほしいと強く思うようになりました。
アルバイト(家庭教師・テニススクールインストラクター)
大学生になって、初めてアルバイトをしました。
入学してすぐにスーパーや喫茶店、居酒屋のアルバイトに応募したのですが、なんと5連敗!
”アルバイトって落とされるんや…。え、もしかして社会に必要とされてない?”
僕的にはかなりの衝撃で、結構落ち込んだことを覚えています。
今となっては良い思い出です。
その後、レストランのアルバイトや単発のアルバイトを経験した後、家庭教師とテニススクールインストラクター(受付業務も!)として2~3年継続してアルバイトをしました。
この2つのアルバイト先は僕にとって、とても大切な宝物になりました。
家庭教師として伺っていたご家庭も、テニススクールのスタッフ・生徒さんも、ものすごく良くしてくださり、職場というよりいつも親戚の家に顔を出しに行っているかのような感覚でした。
このようなアルバイトをしている中で、様々なことに気付きました。
まず、大切な誰かのためであれば時間を惜しまず努力できたことです。
前回の投稿でもお話いたしましたが、僕は学校の勉強が嫌いでした。
ですが、家庭教師の生徒に分かりやすく教えるために日常的に自分で勉強したり、勉強に対するモチベーションの上げ方を工夫する努力をしていました。
その結果、教えていた生徒は定期テストの点数を最終的に150点ほど上げ(元がなかなか低かったのもありますが…)第一志望の学校へ進学することができました!
そして、テニススクールでよく言っていただいていたことがあります。
”コーチとテニスするの楽しい!”
テニススクールでは未就学児~70代の方まで幅広い生徒さんが通っており、始めた当初は自分より年齢が上の方にテニスを教えることに対して強い不安を感じていました。
僕自身テニス歴が浅く(高校生の時の3年間)、身体能力のみでプレーしてきたため、誰かに教えれるほどのノウハウ等はありませんでした。
”僕の強みは何だろう?”
と考えた結果、
”とにかく動ける”
”観察力・傾聴力がある”
でした。
それからはとにかく、動いて、見て、聞いてに徹しました。
①誰よりも動くことでレッスン自体を盛り上げることができ、②とにかく観察することで生徒さんの変化や特徴に気付くことができ、③とにかく傾聴することで何ができるようになりたいかや何をしたいかを知ることができました。
その結果、僕のレッスンを楽しいと言ってくださり、かつ上手になっていく生徒さんや大会に出場してみる生徒さんなどが出てきました。
”人が変わっていく過程に携わる仕事は楽しい!”
そう思うようになりました。
何よりこれらの努力を嫌々ではなく、楽しみながらできることが僕の良さだなと感じています。
このような考え方の変化もあり、”なりたくない職業ランキング”第2位だった学校の先生を目指すことにしました。
正直、この考え方の変化が学校の先生を目指す1番のきっかけだったかなと思います。
海外ボランティア
大学3年生になる前の3月(2019年)、念願だった海外ボランティアに1人で参加しました。
もともと他言語・他文化に興味があったことも参加の理由ですが、それよりも自分の行動力と決断力の弱さを改善することが目的でした。
場所はオーストラリア<ケアンズ>、2週間の環境保護ボランティアでした。
このたった2週間の海外ボランティアが僕の人間性を大きく変化させました。
ボランティア内容が過酷すぎたからです。
僕とは別に同い年の日本人が5人いたのですが、うち3人はボランティアに参加したことをとてつもなく後悔していました
ただ、その過酷すぎる2週間で経た経験、見た景色、学んだ知識は、何もかもが新鮮で、刺激的で、衝撃的で、かけがえのないものとなりました。
もっと世界を知りたい。
もっと他言語・他文化に触れたい。
そう思うようになり、それは今も変わっていません。
これらは伝えなけらばならない。
そんな義務感に駆られました。
下の世代に知ってもらいたい。
世界にはまだ知らない・気付けていないことで溢れていると。
”興味・関心がある”
それで止まってしまってはもったいない。
自分の目で見て、耳で聞いて、身体で感じて、自分の、世界の糧にしないといけない。
たった2週間のことで大げさな表現だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕にとってはそれほど大きな出来事だったのです。
この投稿もどなたかの心に届くと嬉しく思います。
ボランティアの内容に関しては今後詳しく投稿していくつもりですので、今後とも、気にかけてくださる方がいらっしゃれば、何卒ご贔屓に。
では、また!
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